|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 師 : [し] 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend ・ 師団 : [しだん] 【名詞】 1. (army) division ・ 団 : [だん] 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日本 : [にっぽん, にほん] 【名詞】 1. Japan ・ 日本軍 : [にほんぐん] (n) Japanese Army ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops
第135師団(だいひゃくさんじゅうごしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 == 沿革 == 1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満州居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。 しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。 同年7月、「根こそぎ動員」の際に第135師団は、第2国境守備隊(綏芬河)及び第4国境守備隊(虎頭)の主力、第46兵站警備隊、独立混成第77旅団を基幹に編成され、第5軍に編入された。 同年8月9日のソ連対日参戦時に、第135師団は虎林から東安方面に所在していた。第5軍司令部は、第135師団と第126師団に掖河まで退却を命令した。両師団は第124師団がソ連軍との激しい戦闘を継続する中、牡丹江の防備を強化しソ連軍の攻撃を防ぎながら、牡丹江市街の在留邦人の脱出を助けた。 8月15日に第135師団と第126師団は第5軍司令部から命令を受け、8月17日には牡丹江北西の横道河子まで退却し、その地で停戦命令を受けた。 第135師団のほか、第134・第136・第137・第138・第139・第148・第149師団が同時に編成された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第135師団 (日本軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|